従軍慰安婦: 橋下発言と吉見義明

 橋下徹大阪市長による従軍慰安婦に関する発言について,吉見義明(中央大学商学部教授)先生が同市長に対して公開質問状を出されました.詳しくはリンク先をご覧頂くとして,問題の要は2012 年8月24 日の記者会見における,橋下市長による

「吉見さんという方ですか,あの方が強制連行の事実というところまでは認められないという発言があったりとか……」

という発言が適切かどうかです(以下の動画5:20ぐらいから). 


橋下市長「慰安婦の強制連行の証拠は無い」 平成24年8月24日 - YouTube

  吉見先生はこの発言を「1991年から20年以上この問題を解明してきた私の研究の根幹を否定し,私の社会的評価を著しく損ない,私の名誉を毀損するもの」として橋下市長に撤回と謝罪をもとめています.

 果たしてそれほどのものなのか疑問です.なおここで「強制連行」が起こった場所は,橋下発言が韓国の対応と河野談話についてであることから分るように,橋下氏が頭に描いていたのは朝鮮のみであることは明らかです.会見を聞いた人たちも大部分はそう思うででしょう.だから,しばしば言及される,インドネシアや中国での事件は対象としていません.

 さてここでは,吉見先生が自身の著作でどのように言明しているか確かめてみましょう.吉田先生は類書を複数刊行されていますが,ここで参考にするのは次の著書(以下『ウソと真実』と略)です.

「従軍慰安婦」をめぐる30のウソと真実

「従軍慰安婦」をめぐる30のウソと真実

この本は川田文子氏との共著ですが,以下で引用する部分は吉見先生が執筆しているものです.

 まず,吉見先生は「強制連行」という言葉を橋下氏による「強制連行」とは異なっる広義の意味で使っています.「強制連行」は「官憲による奴隷狩りのような連行」というだけではなく,「本人の意思に反してつれていくこと」と定義しています.そして,それには前借金でしばってつれていくことも含まれています(『ウソと真実』pp.22-23.)一方,橋下氏は「強制連行」という言葉を「官憲が直接,有無をいわさず実力をもって,時には暴力的に,連れて行く」という,吉見先生の言葉を使えば「官憲による奴隷狩りのような連行」という狭義の意味で使っています.吉田先生はこの橋下氏による「強制連行」の使い方には当然不満でしょう.ただ,吉見先生が不適切であると感じたにしても,吉見先生は橋下氏が意図する「強制連行」の意味は当然理解しているはずです.というのも,会見のなかでも橋下氏自身がこの点を何回も繰り返し強調していますし(例えば動画9:00ぐらいから),百歩譲って吉見先生がこの会見を見ていないとしても(そのようなことはないと思いますが),先生自身が「強制連行がなかったという人たちは,それを『官憲による奴隷狩りのような連行』というように,意図的に狭く限定している」(『ウソと真実』p.22)と喝破しているからです.

  『ウソと真実』で吉見先生は「官憲による奴隷狩りのような連行」についても記述しています.まず,韓国における「官憲による奴隷狩りのような連行」について証言した吉田清治氏に言及し,「私は吉田さんのこの回想は証言として使えないと確認するしかなかった(『ウソと真実』p.27)」という判断を示しています.つぎに,「私は1991年から慰安婦問題の研究を始めたが,この間,吉田さんのこの証言はいっさい採用していない(『ウソと真実』p.27)」とも明言しています.これらの吉田氏の証言に関する言明からは「狭義の意味での強制連行の事実を示す証拠がない」と先生自身も認めていると読み取れます.さもなくば,この吉田氏の証言が信憑性のないことを受けて「だからといって朝鮮では強制連行がなかったといえない(p.27)」などと『ウソと真実』のなかで但し書きをつけることはないはずです.いずれにせよ,これらをもって,橋下氏の発言のように「強制連行の事実というところまでは認められない」と理解してもそれほどおかしいことではありません.

私の戦争犯罪

私の戦争犯罪

朝鮮人慰安婦と日本人―元下関労報動員部長の手記

朝鮮人慰安婦と日本人―元下関労報動員部長の手記

 なお,この「狭義の意味での強制連行を示す証拠がない」という点は,まさに橋下氏が主張していることです.つまり,橋下氏は「(狭い意味での)強制連行という事実がなかった」と言っているわけではなく,「強制連行の事実のがない」と主張しているだけです.この点は会見のなかで橋下氏が何度も強調しています.

 実を言うと橋下氏は,「強制連行の事実を示す証拠はない」と強調し,さらに既述の吉田証言に言及した後に,件の発言を行っています.この部分は吉見先生の公開質問状には引用されていませんが(吉田先生ちょっとずるい),橋下発言に関連する部分を全部引用すると以下の通りです.

「日本政府が2007年に閣議決定をやっているその中身でね,強制連行の事実はなかっ(筆者注:言い直し),強制連行の事実を示す証拠はなかったと.だから,事実があったかどうかではなくて,その証拠がなかったと言ってるんです.だから僕が言っているのは事実論じゃなくて証拠論なんでね.だから証拠がないっていうふうになったんであれば,証拠をやっぱりね,ちゃんと見つけてきましょうよ,というところですよ.吉田清治さんの,あの,何でしたっけ,名前忘れましたけど,あの著作ですよ.あれもあとで,あれは虚偽の主張だったということが,あとでこう,いろいろそういうことが話題になったりとか,吉見さんという方ですか,あの方が強制連行の事実というところまでは認められないという発言があったりとか.」(動画5:00ぐらいから)

 この発言全体を吉見先生による『ウソと真実』の既述の部分と照らし合わせると,件の発言が「1991年から20年以上この問題を解明してきた私の研究の根幹を否定し」,吉見先生の「社会的評価を著しく損ない,名誉を毀損するもの」とは到底思えません.発言の受け手にとっても明らかになっている橋下氏の「強制連行」という言葉の使い方を斟酌すると,件の発言は,むしろ吉見先生の『ウソと真実』の議論をなぞったようにも思えます.

女性手帳

 この間,少子化危機突破タスクフォース(のサブチーム)が提示した「女性手帳」が色んなところで取り上げられているようです.マスコミの報道をみると如何にも導入決定みたいな感じなんですが,蓮舫議員が森大臣にふっかけた漫才から,現状では「一案として検討されている」もので,直ぐに実施するものではない(実は名称も決まっていない)ものであることが分ります.また女性手帳は,必ずしも「30歳半ばまでの妊娠・出産を推奨」するものではなく(いわんや「女性はさっさと子どもを産め」というものではなく),女性の選択に配慮しながら基礎的な医学知識の伝達を目的としていることが理解されます(井上明人さんのブログ記事

 それはそれとして,女性手帳のニュースに関する(ネット上の)記事の中に,女性の方々から否定的なコメントを多く見ることができます.例えば,次のような意見です.

  • 「国が『20代で結婚して子どもを産め』と強制しているみたい」。さいたま市の女性会社員(43)はこう憤る。中国新聞
  • 約10年不妊治療を続けてきた北海道の女性(41)は「もし手帳があったら、20代から不妊治療ができたかもしれない」と知識の普及には理解を示す。ただ「政府に産まない人生を否定されたくはない」と、思いは複雑だ。中国新聞
  • 「女性が子供を産むことを強制されているように感じる」(33歳)マイナビウーマン
  • 「その前に、やることがたくさんあるはずだと感じている」(22歳)マイナビウーマン
  • 「手帳を貰うだけで具体的な支援や補助などがきちんと見えてこない。一時的な支援でなく、より育てやすくする環境整備の方を進めるべきだと思う」(25歳)マイナビウーマン
  • 「これらは、ポンコツおじさんが考えたポンコツ政策に見えます。働く女性の実感からはちょっと遠いですね」と一刀両断するのは、東京都在住で高齢者の福祉サービスに携わるAさん(35歳)である。ダイアモンドオンライン
  • 都内の短期大学で事務職を勤めるBさん(32歳)は、女性手帳のニュースに強い反発を感じたという。結婚から5年が経っても子どもができず、不妊治療を考え始めた彼女はこう語る。「出産=幸せという価値観を押し付けられると、もし自分に子どもができなかったときは、『不幸』だと言われているようでキツいです」ダイアモンドオンライン
  • 40をとっくに過ぎている私は、タスクフォースのターゲットにも何にもなっていないし、期待もされていないわけだが、無理やり嫌いな食べ物を口に突っ込まれたような、妙な気持ちの悪さを即座に感じてしまった。日経ビジネスオンライン

 出産に関する医学知識が必要ということは誰でも同意できるはずだし,また,手帳の配布が選択の強制に繋がるわけないので,私的にはこのような否定的な意見が出てくること自体が不思議でした.ただ否定的な意見を述べてらっしゃる方々の年齢をみて理解できなくもないかなと.これら否定的なコメントを述べてらっしゃる方々は30歳以上の方が多いですよね(20代の方もいらっしゃいますが).女性としてキャリアをもってらっしゃる方も多いでしょうし,一定以上の教育をうけ,かつ,出産に関しても十分な知識をもってらっしゃるでしょう.それが故に,女性としてやるべきことが思うようにならず焦っている方々かもしれません.そんな状況で「女性手帳」なるものを突きつけられたら,当然,いい気はしないでしょう.否定的な意見を吐きたくなるのは諾なるかなです.

 でも残念ながら,ここで「女性手帳」が対象にしているのは彼女ら~現在30代以上の女性~ではではないんですよね.ターゲットにしているのは,これから少ないリスクで子供を産むことができる,10代~20代の女性のはず.だから,彼女たち(30代以上の女性)が敵対的な意見をもったとしても,そもそも彼女たちには関係のない話なんです.

 Yahoo!みんなの政治女性手帳についてのコメントが数多く投稿されていますが,その中でも,この観点からは次のコメントが秀逸と思いました.

《10~20代の皆さんへ》ツイッター欄のコメントで、政党別の賛否割合を指摘しているモノがありますが、着目すべきはそこでなく、いつも14%程度だった女性の割合が、本件では現時点で54%あることです。年代別の投票割合も30~40代の合計で約60%あり、見方によっては30~40代の女性の意見が多く寄せられているものと考えることもできます。ですので、この投票を見ている10代~20代の方々は、ぜひとも悩める30~40代女性の方々と思しきコメントを読んで、ご自身の人生設計のイメージしてみてはいかがでしょうか?「男女平等」というのは人としての権利であって、「女性が男性のような人生をおくること」ではないと思います。ちなみに、ギネスブックに載っている世界の最高齢出産記録は66歳です。生理学的な生殖能力も、男性とは違います。そのような性差を知った上で、個人としても女性としても、悔いの無い人生を送りましょう。

ちょっと意地悪なコメントとなりましたが,30代以上の女性達の意見は横に置いといて,10代~20代の女性達(と,もちろんそのパートナー達)に期待しましょう.